私、社会ネタしか書けません。
NHKテレビ番組の「その時歴史が動いた!!(富士川の戦い。)」を活用して、まったりと家庭学習しました。
源平合戦に至るまでと平氏の滅亡までの流れがよく分からないらしい。
どうも朝廷側(上皇)が幕府に戦いを挑むというパターンについて、時代が前後しがちですね。
昨日は源平合戦の流れを教えるべく、富士川の戦いについて話しました。
水鳥が一斉にはばたく音で平氏が遁走する戦いです。
一の谷の戦いは桶狭間みたいに敵背面の崖から攻めるとか。
言葉で言ってもまた忘れるだろうと思い、YouTubeで「富士川の戦い」の水鳥がはばたく場面だけ見せようと思い検索するとNHKの《その時歴史が動いた(富士川の戦い)》が上位にヒット。
動画時間を見ると一時間はありそう。
《その時歴史が動いた》はいくつか見ましたが本編は初視聴でした。
導入部分から面白く、息子と寝そべりながらiPadで見てしまいました。
妻からは「おい、それは勉強か?」としつこい突込みがありましたが。
伊豆半島での石橋山の戦いでは、40騎あまりで決起せざるを得なかったところから始まり、敗走し海を渡り千葉の安房に上陸したところを襲われつつも、各地の豪族に「各々の領土を認める体制を作るから俺について来い。」的な親分肌で仲間を増やします。
豪族たちから信用を得る様子が結構かっこう良く描かれています。
まさに「THE ご恩」漢が漢に惚れる。男塾的な。
内房を反時計回りに進み、上総に来る頃にはさらに有力豪族を味方につけ2万を超える軍勢に膨らみます。
40騎からスタートして500倍の20,000騎ですよ!!
麦わらの一味でも難しいですよ。
息子もびっくり。
「ご恩」と「奉公」を逆に書きそうになる息子ですが、頼朝の「ご恩」について、息子は理解できました。やった~。
富士川の戦い後も駿河近辺の領土を恩賞として分け与え、さらに株の上がる頼朝さん。
でもって、ちょっと飛ぶけど元寇の後に「ご恩」と「奉公」の仕組みが崩れたのは、恩賞の原資がなかったことが原因だよと。
結局、みんな「金」なんだと。
家族や家来を養うには「ご恩」の気持ちだけじゃ飯が食えなかったんだよと。
気持ちがあっても金の切れ目が縁の切れ目だと。
親同様しわの少ない息子の脳みそに記憶を刻むべく、一生懸命脱線しまくる私。
冷ややかな目で眺める妻。ゲラゲラ笑う息子。
だが、しかし費やした時間は概ね一時間。
しかも番組は富士川の戦いで終わり・・・。
YouTubeで民放の歴史番組を見るも、軽すぎてコミカル的でしっくり来ません。
息子も私もNHKの番組の方が面白いねと意見は一致。
その後、妻の妨害?によりYouTubeでの歴史勉強は終わりました。
社会に時間を掛けすぎていると分かってはいますが、少しでも脳裏に場面を焼き付けてくれればと思いました。
大河ドラマを見せても、戦闘シーンしか興味がないのですが歴史番組だと面白がって見るので、今後もほどほどに活用していきたいと思います。
我が家にはゆっくりと時間が流れています。妻の焦りが分かる方はぽちっと。